水戸芸術館で、地方で本と関わる仕事をする人たちの鼎談「地方で、本を編む、つくる、届ける。/装丁家、古書店主、編集者に聞く、地方で本を仕事にするということ。」というイベントがあり、装丁家の矢萩多聞さん、出版社三輪舎の中岡祐介さん、京都のマヤルカ古書店のなかむらあきこさんの話を聞いてきた。
大学に入学する遥か前に、中島岳志の『中村屋のボース』という本が好きで、その装丁をしたのは矢萩さんである。『パール判事』も、すぐに印象的な椅子の表紙が思い浮かぶ。
本の装丁には詳しくないが、卒論で研究した作家の本は装丁違いで買っていたし、フォントや手触りが好きじゃないと買わない本もある。そういう話を聞いて、卒論指導に入った直後の不安でいっぱいの私に、通信仲間が言ってくれた「オタクだから大丈夫、絶対に卒論かける」という言葉をお守りみたいにして卒論を書いた。
本は、それがなくても生きていける人も多いと思うし、音楽のようにたくさんの人が一斉に共感することはない。よく言われるように米やパンのように、本があるからといってお腹が満たされるわけではない。
けれども、ある一冊の本でひとが生き方を考え直したり、文学を知ることで想像力が培われ、他者への寛容さを生み出す素地を創ることはできる。
通信でレポートや試験のためだけに読んだ本も多いが、それは全部無駄にはなっていないなと思う。
アメリカ文学の勉強も、巽孝之先生の「アメリカ文学史 駆動する物語の時空間」は一度読んだ時にはとても難しく理解できなかったのだが、ここにはとても大切なことが書いてあると感じて、この本をきちんとわかりたいと思ったことが初めの一歩だった。
——夏スクで教科書に指定されている本や、レポートを書くために渋々読んだ本が、あなたの「あの一冊があったから」という経験になることもあるかもしれない。
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