●「アウル・クリーク橋の一事件」と作家ビアス
慶應通信の「アメリカ文学」の教科書(著者 巽孝之)には、アンブローズ・ビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」 “An Occurrence at Owl Creek Bridge” (1890)が収録されています。この作家、実際にレポートを書こうと調べてみると、日本語の資料が他の作家ほど見つからず、なかなか骨が折れます。ただその作品といい、その人生といい、面白い作家であることは確かです。
Bierce, Ambrose. An Occurrence at Owl Creek Bridge. The San Francisco Examiner,1890.
ビアスは1913年12月26日付の手紙を最後に消息を絶ちました。その後の彼については、生き延びてアルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスになったという珍説などなど、数々の都市伝説のネタになっています。光文社古典新訳文庫の解説(小川高義)では、藤子・F・不二雄の『T・P(タイムパトロール)ぼん』というシリーズが紹介されているのですが、その中の一章「超空間の漂流者」では1913年のメキシコで姿を消した「アンブロース・ピアース」なる人物が遠い未来の荒廃した地球に流れ着くのだとか。
ほかにも彼に関するトピックは色々ありますが、ここでは「アウル・クリーク橋の一事件」から派生したトリビアを書いてみたいと思います。レポートには全然役に立ちませんのであしからず。
Ambrose Bierce
●「オレ死んでた?!」系映画の系譜
「アウル・クリーク橋の一事件」は、「そのものの精神も、20世紀末にはエイドリアン・ライン監督がヴェトナム戦争を舞台にした1990年の映画『ジェイコブズ・ラダー』として、また作家ポール・オースターが湾岸戦争以後の時代を意識して監督した1998年の『ルル・オン・ザ・ブリッジ』として、なおも脈々と生き続けているのである」と巽先生が教科書(56)で仰っている通り、映画と関わりが深い作品です。主人公が間一髪処刑を逃れてドラマチックに逃走する展開、途中の色鮮やかで微視的な情景描写、幻想的な道のりの果てに叩き落されるショッキングな結末、そうした物語の構成全体が映画表現と相性がいいという部分もあるのでしょう。
「アウル・クリーク橋の一事件」の最大の特徴にして最大のネタバレは、主人公が実は死んでいるということです。死んでいるというか、生きている状態から死ぬまでの最後の一瞬というか、とにかく最後は「あ!オレ死んでた?!」という衝撃で終わる。
で、この(私が勝手に名付けた)「オレ死んでた?!」系のホラーは、探すとちょくちょくあります。一番有名なのが『シックス・センス』(M・ナイト・シャマラン監督 1999)でしょうか。ブルース・ウィリスが少年につきまとっているのに、都合よく自分は少年のカウンセリングをしてあげていると思っているあたり、わかってみればさすが幽霊。幽霊はそもそも自分勝手で、自分で自分が死んでいることがわかっていないぐらい、自分に都合のいい部分しか見ない。ドアを開けていないのに部屋にいる、切符を買っていないのに映画を見ている。そうした幽霊にとって都合のいい切り取り方は、映画のカット編集の技術と同じであることに映画監督たちは気づいていて、私たち観客はうまく騙されます。
The Sixth Sense. ©1999 Spyglass Entertainment Group, L.P. & Hollywood Pictures.
『アザーズ』(アレハンドロ・アメナーバル監督 2001)はさらにひねられていて、ニコール・キッドマン演じる主人公グレースを追いつめていく謎の物音や子供の泣き声、ポルターガイストの数々は、実は屋敷に入居した「生者」たちの行動によるものです。自分が幽霊だと気づかない幽霊から見て、生者の方が幽霊に見えるという逆転は、私たち観客つまり「生者」が「幽霊」として映画を見るという体験につながります。しかも最後にはなんと幽霊が勝ち、生者たち(入居者と観客)は屋敷から退散させられてしまいます。
The Others. ©2001 SOGECINE and LAS PRODUCCIONES DEL ESCORPIÓN
安らかな死を拒否した幽霊一家は、屋敷を支配することを宣言して物語を終えるのですが、グレースが自分の子供を殺した母親であることを考えるとき、「命を産んで殺す」行動と、「死を認識するまでの過程をぐるぐる回る幽霊」という螺旋のような物語とが重なって、なんとも眩暈のする構造だなぁと思わずにいられません。これに関するBriefelの論文では回転のモチーフを強調していて、しまいには「繰り返し」見る観客の行為からDVDの円盤の形まで出していますが、そこまでいかなくても、幽霊として同じ場所の中をぐるぐる「生き続ける」のは私からすれば、ごめんだなと思わなくもありません。
というのも、ビアス含めてすべての「オレ死んでた?!」系主人公は衝撃を受けた後、死の世界へ無事(?)移動することが鉄則だったのに、グレース一家だけが移動を拒否して生と死の狭間にとどまることを積極的に宣言する結末が異色なのです。見方によっては『アザーズ』こそ「オレ死んでた?!」系ジャンルの頂点ともいえるでしょう。
さて、こうした自分の死を認識するまでの道のりそのものを物語にしたホラー映画の最初の作品は何かをさかのぼっていくと、1929年、チャールズ・ヴィダー監督のThe Bridge に行きつきます。そしてこの世界最初の「オレ死んでた?!」系の映画こそ、ほかならぬビアスの「アウル・クリーク橋の一事件」の映画化なのです。
1929年といえば、1913年にビアスがメキシコで姿を消してから20年経っていません。ポーの「アモンティリャアドの酒樽」にヒントを得て制作された『閉ざされた部屋』 (D.W. グリフィス監督 1909)、ヴェルヌ原作の『月世界旅行』(ジョルジュ・メリエス監督 1902)、メアリー・シェリー原作の『フランケンシュタイン』(J・サール・ドーリー監督 1910)、そしてロバート・ルイス・スティーヴンソン『ジキル博士とハイド氏』(ルシウス・ヘンダーソン監督 1912)などなど、並み居るホラー映画の原案作家連に、ビアスはしっかり入っていたことになるのです。
映画は9分余りという短いものですが、見てみると原作とちょこちょこ違うところがあります。北軍から逃げてウキウキ(ほんとにそういう感じでした)逃げている主人公が唐突に追ってくる何かの気配に焦って走り始めるところや、目の前を妻と息子の幻が去っていくところなどなど、原作と異なる部分はあるのですが、映画としては素晴らしいものだと思います。
「アウル・クリーク橋の一事件」はその後も何度か映画化されていますが、どれもそれぞれ原作のどこをどんなふうに表現するかが違っていて、見比べると面白くなってきます。こうした「オレ死んでた?!」系はカルト的人気のある、『恐怖の足跡』(ハーク・ハーヴェイ監督 1962)、ベトナム戦争を背景にした『ジェイコブズ・ラダー』(エイドリアン・ライン監督 1990)などを経て『シックス・センス』『アザーズ』へと続きます。
『恐怖の足跡』は公道レースで車ごと川に落ちた女性がひとり生き残ったものの、だんだん変な男の幻に付きまとわれるようになり、周囲でおかしなことが起こり、追いつめられた果てに死に戻るという話で、「アウル・クリーク橋の一事件」と同じ構造と言えます。変な男は監督自身で、彼はソルトレイク・シティにあったレジャー施設の廃墟からこの映画を作ることを思い立ったのだそうです。だんだん周囲がおかしくなり、誰ひとり自分に反応してくれなくてパニックになっていく主人公の体験はそれ自体が奇妙なものになっていきます。最後に彼女は件の廃墟にさまよいこみ、そこで白い顔の集団に追い掛け回されますが、今見ると白黒の映像のせいで、よけい不気味です。『恐怖の足跡』はホラー映画の系譜の中では重要で、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)などの映画へ影響が及んでいるとのこと。その辺りの流れも楽しそうです。
Carnival of Souls. Directed by Herk Harvey, 1962. INTERNET ARCHIVE, https://archive.org/details/CarnivalofSouls&sa=D&ust=1591502240165000&usg=AFQjCNEjdvH2Ex9zezZf9t4wD-rHJx5dOA
●生者が死者になれるゲーム
ところで、「オレ死んでた?!」系映画はその後も『ステイ』(マーク・フォースター監督 2005)などへ続きますし、『ゴースト/ニューヨークの幻』(ジェリー・ザッカー監督 1990)『ラブリーボーン』(ピーター・ジャクソン監督 2009)のように、「オレ死んでる?!」という衝撃が最初のほうに来て、生と死の狭間の世界で問題を解決することに重点を置いた映画も数多くあります。『ゴースト・エージェント/R.I.P.D.』(ロベルト・シュヴェンケ監督 2013)なんて、個人的に好きな映画です。それぞれの考察も面白いのですが、ここで多分あまり知られていないゲームの話をひとつ。
MURDERED 魂の呼ぶ声 ©2014 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved. Co-Developed by SQUARE ENIX CO., LTD. and Airtight Games, Inc.
2014年にスクエア・エニックスから発売された「MURDERED 魂の呼ぶ声」は、連続殺人事件を捜査している最中に犯人に殺された刑事が「自分の殺人事件」を捜査するゲームです。主人公ロナンは最初、自分が死んでいることに気づきません。振り返って自分の体を発見して「えらいこっちゃ」とばかりに戻ろうとするのですが、それをプレイヤーが自分で操作しなければならないところで、私は笑ってしまいました。ゲームのおかげで、ついに生者(プレイヤー)は死者として行動することができるようになったわけです。
「オレ死んでる?!」と焦って体に戻ることを要求されるゲーム……。結局それは失敗し、ロナンは生と死の狭間の世界で猟奇連続殺人の謎を解いていくのですが、こうしたビアス的なゲームの舞台がセイラムであり、主人公に幽霊としての行動を最初に教える少女の幽霊の名前がアビゲイル・ウィリアムズであると言えば、俄然アメリカ文学好きは興味がわくのではないでしょうか。セイラムの魔女裁判における最初の告発者のひとりである彼女は、幽霊として街をいまだに闊歩しているのです。
真相に近づくにつれ、過去の魔女裁判と現在の連続殺人はつながっていきます。ゲーム自体はストーリーが一本道であること、やりこみ要素が少ないこと、敵が一種類であることなどからクソゲーとまで言われて中古で売られていますが、私は夢中でやりました。生者であるプレイヤーが死者として行動する体験なんて、ビアス好きが放っておけるわけがありません。証拠集めに行かなければならない場所は教会、警察署、共同墓地、精神病院、歴史博物館、ホーソーン判事の居館だった廃墟という「そそる」場所ばかり。どこへ行っても過去と現在、生者と死者が同居しており、そこを行く主人公ロナンの日本語版キャストが山寺宏一と「わかってる」配役。ちなみに義兄が大川透、謎の少女の幽霊(アビゲイル)の声が沢城みゆきです。
他の幽霊を助けるサブミッションや怪談を収集する要素もあるので、怪談好きにもおすすめですが、何よりもメインストーリーがアメリカ文学好きには見逃せない。もちろんセイラムの街並みは架空のものですし、魔女裁判についても史実とは異なる部分があるのですが、一見というか一プレイの価値ありです。
(慶友会メンバーA.O.)
【参考】
Briefel, Aviva. “What Some Ghosts Don’t Know: Spectral Incognizance and the Horror Film.” Narrative, vol. 17, 2009, pp. 95-108.
『MURDERED 魂の呼ぶ声』、スクウェア・エニックス、Airtight Games、2002. (Windows, PS3, PS4, Xbox 360, Xbox One)
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